カルバリーチャペル バイブルカレッジ ジャパンでの教えは以下の教義信仰表明に基づいています。
I. Scripture 聖書のみことば
私たちは聖書(i.e., 旧約、新約聖書の全66書簡)が霊感を受けた絶対的な神のみことばであると信じています。聖書原文には誤りはありません。ですから今日の聖書も間違いのないもので信頼できるものであるということ、そして聖めと救いは十分であるということを信じます。ですから、聖書は信仰、神学、人生のなかでも最重要されるべきもの、最終的にも選ばれるべきもの、権威ある基準とされるべきものなのです。そしてみことばを教える時は、聞き手一人一人に適用出来るようなメッセージで、キリストにあってより成熟したものへと導くことを目的としている。(CCBCはシカゴが聖書には誤りのないという宣言に賛同しています。)
II. Historicity 歴史的真実性私たちは聖書が記録する最古の歴史についてもその完全なる歴史的真実性と明晰さを信じています。文字通りすべての人の祖先であるアダムとエバが存在したこと、文字通りエデンの園での堕落の結果として創造物が呪われてしまったこと、世界的な大変動洪水、国々と様々な言語の起源はバベルの塔であったこと。
III. God 神
私たちは三位一体の神が実体において唯一の神でありつつ、三つの位格(人格)に永遠に存在されることを信じています。三つの位格とは:御父、御子と聖霊です。神の本質は霊的、個人的、超越的、主権者、いのち、愛、真実、全能、シンプル(i.e.,かざりや無駄なところがない様)、時を超えて、永遠、不変、賢い、義、聖なる、関連性のある(親類)、実在、ダイナミック、全てにおいて誤りがない、それは未来における決断や出来事なども全て神が先見されていること、そして文字通り神が天と地を6日間で創造したということ。
IV. Jesus Christ イエスキリスト
イエスキリストは完全に神であり、完全に人であることを信じています。二つの性質が1人の人の内にあり、その方は聖霊によって超自然的に宿り処女から生まれ、罪なき人生を送り超自然的な生き方をし、十字架上の犠牲の死によって私たちの罪の贖いを備えられました。聖霊の力によって、死者の中から死んだ時と同じ肉体をもってよみがえられ、イエスキリストはその身で昇天し、天の御父の右の座に戻り、今でも生きておられ、私たちのために執り成しをしておられます。イエスが天に挙げられた後、聖霊はエルサレムにいる信者の上に注がれ、それにより彼らが全世界にでていき福音を宣べ伝えるという戒めを可能にするためでした。この義務は今日すべての信仰者に与えられている義務です。(CCBCはニカイア信条、使徒信条に賛同しています。)
V. Holy Spirit 聖霊
私たちは聖霊は三位一体の3番目の位格であると信じます。聖霊は、封じ、内在(内に留まる)、聖別、聖霊のバプテスマ、教え、強め、明らかにし、そして信仰者たちを真実へと導く方である。聖霊は今日においても聖霊によって人に賜物を与えます。賜物は聖書のガイドラインの範囲内で行使されるべきです。私たちは信仰者として尊い賜物を心から望み、キリストの体全体が建てあげらるために愛を持って賜物を行使する。
VI. Mankind 人類私たちは人は神の似姿に創造されたと信じます。しかしながらアダムとエバが堕落した後に、すべての人は神から離され、自分の罪の責任をおうことになりました。しかしその救い、贖い、そして赦しが主イエスキリストからの完全なる恵みのゆえに無償のプレゼントとして与えられています。人が罪を悔い改めてイエスキリストを自分の救い主とし、彼が救ってくださるとして受け入れるなら、その人は直ちに生まれ変わり、聖霊によって証印を押され、すべての彼/彼女の罪は許され、その人は神の子となり、永遠に主と共に過ごすのです。
VII. Salvation 救い救いは、私たちの罪のために十字架上でのキリストの死と死からの復活によって神から始められ、果たされ、実現された。キリストが与えている救いは、すべての人に与えられている。善い行いなどによって得るのではなくて、ただ恵によって、そしてキリストへの信仰により自由に受けることができる。ゆえにその信仰者は義とされ救いはその人の内に永遠に残る。
VIII. The Church 教会
普遍的な教会は、救いのためにイエス・キリストへの信仰を通して聖霊によって証印された、生きている者とすでに死んだ者両方のすべての信者で構成される生きた体です。その教会には、主を礼拝することと、良い知らせであるキリストの死と復活を世に伝え、弟子を作り、信仰者たちにバプテスマを授け、そして彼らに聖書の教えが健全な教えであるのか観察するように教える責任がある。道徳的に正しい生き方をするように教える責任がある。教会のまとめ方は複雑な官僚制度のようなものではなく単純なものであり、肉体的な昇進や世俗的なものであるべきではなくて、聖霊に最大限に依存するべきだと私たちは信じています。主は教会にイエスが戻られるまでで続けるべき2つの儀式を与えました-浸ることによる大人の洗礼と聖餐です。水による洗礼(バプテスマ)は救いのために必要なのではありません。そして洗礼により罪を取り消すこともできません。しかし信仰者には救いをすでに受けているのです。私たちは、クリスチャンの真の交わりの基本は、キリストのご自分を犠牲にされたアガペの愛がゆえにあると信じている。よって私たちがこの最も大切な基本を守れず互いに同意せず、それにより交わりに亀裂がうまれるようなことがあってしまったらその人は自分がクリスチャンだと公言するべきではない。
IX. Worship 礼拝
私たちは神の礼拝は霊的であるべきだと信じています。したがって聖霊が礼拝を導びかれるままに従います。私たちは神への礼拝(賛美)は人々を奮い立たせるものであるべきだと信じています。したがって、礼拝のなかで賛美も重要視しその時間をとります。私たちは神への礼拝が聡明であるべきだと信じています。したがって、私たちは、どのように礼拝する必要があるのかを教えてくれるという御ことばの教えに重点を置いて、定められたものです。私たちは神への礼拝が実りあるものであるべきだと信じています。したがって、神の愛が自分の人生でそして生き方で見られる時は、神を本当に霊と真をもって礼拝しているときであると言えます。
X. Christ’s Return キリストの再臨(来臨)私たちは教会が患難時代の前に軽挙されることを待ち、キリストの来臨が物理的に、個人的に、見ることができる状態で、千年王国前の出来事だと信じます。これらのことが動機となり、伝道、聖なる生き方、心からの礼拝、健診的に仕え、神のみことばを熱心に勉強し、そして日常的に交わりを持つようになります。
XI. Eternity 永遠
私たちはイエスキリストによって救われた人々は祝福され、報酬を受け、満足の状態で天国のキリストと永遠を過ごすと信じています。信仰によって完成したキリストの働きを個人的に受け取らない人は、痛み苦しみの中神から離されたままで永遠を過ごさなくてはいけない。
XII. Satan サタン私たちは、欺き、誘惑し、殺し、盗み、滅ぼそうする大きな悪意、狡猾、そして力づよい悪魔が本当に存在していると信じていますが、彼の力は神によって彼に許可されたものだけに制限されていることを信じています。悪魔はすでにキリストの十字架上で地位的に打ち負かされており、キリストの栄光の再臨により、悪魔、獣、偽預言者が火と硫黄の燃える湖でキリストの栄光の再臨で永久的な隔離と処罰をうけることを信じています。
XIII. We Reject: 賛同できないこと。
私たちは聖書(i.e., 旧約、新約聖書の全66書簡)が霊感を受けた絶対的な神のみことばであると信じています。聖書原文には誤りはありません。ですから今日の聖書も間違いのないもので信頼できるものであるということ、そして聖めと救いは十分であるということを信じます。ですから、聖書は信仰、神学、人生のなかでも最重要されるべきもの、最終的にも選ばれるべきもの、権威ある基準とされるべきものなのです。そしてみことばを教える時は、聞き手一人一人に適用出来るようなメッセージで、キリストにあってより成熟したものへと導くことを目的としている。(CCBCはシカゴが聖書には誤りのないという宣言に賛同しています。)
II. Historicity 歴史的真実性私たちは聖書が記録する最古の歴史についてもその完全なる歴史的真実性と明晰さを信じています。文字通りすべての人の祖先であるアダムとエバが存在したこと、文字通りエデンの園での堕落の結果として創造物が呪われてしまったこと、世界的な大変動洪水、国々と様々な言語の起源はバベルの塔であったこと。
III. God 神
私たちは三位一体の神が実体において唯一の神でありつつ、三つの位格(人格)に永遠に存在されることを信じています。三つの位格とは:御父、御子と聖霊です。神の本質は霊的、個人的、超越的、主権者、いのち、愛、真実、全能、シンプル(i.e.,かざりや無駄なところがない様)、時を超えて、永遠、不変、賢い、義、聖なる、関連性のある(親類)、実在、ダイナミック、全てにおいて誤りがない、それは未来における決断や出来事なども全て神が先見されていること、そして文字通り神が天と地を6日間で創造したということ。
IV. Jesus Christ イエスキリスト
イエスキリストは完全に神であり、完全に人であることを信じています。二つの性質が1人の人の内にあり、その方は聖霊によって超自然的に宿り処女から生まれ、罪なき人生を送り超自然的な生き方をし、十字架上の犠牲の死によって私たちの罪の贖いを備えられました。聖霊の力によって、死者の中から死んだ時と同じ肉体をもってよみがえられ、イエスキリストはその身で昇天し、天の御父の右の座に戻り、今でも生きておられ、私たちのために執り成しをしておられます。イエスが天に挙げられた後、聖霊はエルサレムにいる信者の上に注がれ、それにより彼らが全世界にでていき福音を宣べ伝えるという戒めを可能にするためでした。この義務は今日すべての信仰者に与えられている義務です。(CCBCはニカイア信条、使徒信条に賛同しています。)
V. Holy Spirit 聖霊
私たちは聖霊は三位一体の3番目の位格であると信じます。聖霊は、封じ、内在(内に留まる)、聖別、聖霊のバプテスマ、教え、強め、明らかにし、そして信仰者たちを真実へと導く方である。聖霊は今日においても聖霊によって人に賜物を与えます。賜物は聖書のガイドラインの範囲内で行使されるべきです。私たちは信仰者として尊い賜物を心から望み、キリストの体全体が建てあげらるために愛を持って賜物を行使する。
VI. Mankind 人類私たちは人は神の似姿に創造されたと信じます。しかしながらアダムとエバが堕落した後に、すべての人は神から離され、自分の罪の責任をおうことになりました。しかしその救い、贖い、そして赦しが主イエスキリストからの完全なる恵みのゆえに無償のプレゼントとして与えられています。人が罪を悔い改めてイエスキリストを自分の救い主とし、彼が救ってくださるとして受け入れるなら、その人は直ちに生まれ変わり、聖霊によって証印を押され、すべての彼/彼女の罪は許され、その人は神の子となり、永遠に主と共に過ごすのです。
VII. Salvation 救い救いは、私たちの罪のために十字架上でのキリストの死と死からの復活によって神から始められ、果たされ、実現された。キリストが与えている救いは、すべての人に与えられている。善い行いなどによって得るのではなくて、ただ恵によって、そしてキリストへの信仰により自由に受けることができる。ゆえにその信仰者は義とされ救いはその人の内に永遠に残る。
VIII. The Church 教会
普遍的な教会は、救いのためにイエス・キリストへの信仰を通して聖霊によって証印された、生きている者とすでに死んだ者両方のすべての信者で構成される生きた体です。その教会には、主を礼拝することと、良い知らせであるキリストの死と復活を世に伝え、弟子を作り、信仰者たちにバプテスマを授け、そして彼らに聖書の教えが健全な教えであるのか観察するように教える責任がある。道徳的に正しい生き方をするように教える責任がある。教会のまとめ方は複雑な官僚制度のようなものではなく単純なものであり、肉体的な昇進や世俗的なものであるべきではなくて、聖霊に最大限に依存するべきだと私たちは信じています。主は教会にイエスが戻られるまでで続けるべき2つの儀式を与えました-浸ることによる大人の洗礼と聖餐です。水による洗礼(バプテスマ)は救いのために必要なのではありません。そして洗礼により罪を取り消すこともできません。しかし信仰者には救いをすでに受けているのです。私たちは、クリスチャンの真の交わりの基本は、キリストのご自分を犠牲にされたアガペの愛がゆえにあると信じている。よって私たちがこの最も大切な基本を守れず互いに同意せず、それにより交わりに亀裂がうまれるようなことがあってしまったらその人は自分がクリスチャンだと公言するべきではない。
IX. Worship 礼拝
私たちは神の礼拝は霊的であるべきだと信じています。したがって聖霊が礼拝を導びかれるままに従います。私たちは神への礼拝(賛美)は人々を奮い立たせるものであるべきだと信じています。したがって、礼拝のなかで賛美も重要視しその時間をとります。私たちは神への礼拝が聡明であるべきだと信じています。したがって、私たちは、どのように礼拝する必要があるのかを教えてくれるという御ことばの教えに重点を置いて、定められたものです。私たちは神への礼拝が実りあるものであるべきだと信じています。したがって、神の愛が自分の人生でそして生き方で見られる時は、神を本当に霊と真をもって礼拝しているときであると言えます。
X. Christ’s Return キリストの再臨(来臨)私たちは教会が患難時代の前に軽挙されることを待ち、キリストの来臨が物理的に、個人的に、見ることができる状態で、千年王国前の出来事だと信じます。これらのことが動機となり、伝道、聖なる生き方、心からの礼拝、健診的に仕え、神のみことばを熱心に勉強し、そして日常的に交わりを持つようになります。
XI. Eternity 永遠
私たちはイエスキリストによって救われた人々は祝福され、報酬を受け、満足の状態で天国のキリストと永遠を過ごすと信じています。信仰によって完成したキリストの働きを個人的に受け取らない人は、痛み苦しみの中神から離されたままで永遠を過ごさなくてはいけない。
XII. Satan サタン私たちは、欺き、誘惑し、殺し、盗み、滅ぼそうする大きな悪意、狡猾、そして力づよい悪魔が本当に存在していると信じていますが、彼の力は神によって彼に許可されたものだけに制限されていることを信じています。悪魔はすでにキリストの十字架上で地位的に打ち負かされており、キリストの栄光の再臨により、悪魔、獣、偽預言者が火と硫黄の燃える湖でキリストの栄光の再臨で永久的な隔離と処罰をうけることを信じています。
XIII. We Reject: 賛同できないこと。
- 真のクリスチャンでも悪霊に取り憑かれことがあり悪魔の巧妙な策略に無力であるという、信仰や考えは賛同できます。
- いかなる哲学または神学も人の自由意志では、キリストの無償の救いを受けることはできないという考えには賛同しません。特に、イエスの贖いには限度があるという信念には賛同できません。かわりにキリストはすべての不義の人のために死なれた。贖いに制限があるのではなくて人の自由意志によってキリストの贖いを拒んだからだと信じています。
- 「強気な告白」(e.g.,信仰ムーブメント、信仰が力を持ち、人の意思や信仰によって神に「癒し」や「奇跡」を命令(強制)できるという考え。
- 聖書に付け加えるか、聖書に相反する人間の預言。
- 実質的に「キリストのではなく、世界の基本原則に従って、また人の伝統に従って」聖書の教えに心理学と哲学を付け加えること。
- 解放神論か自由意志神論 は、神の時間に縛られない、変わることのない、ダイナミックな性質、そして全能さ、将来的に人が何を選択するかまですべて知っておられるということに同意しない考えには賛同できません。
- ポストモダニズムを支持する歴史的な正統派キリスト教の教義から逸脱する、「イマージェト教会」ムーブメント、(8)聖書の中に無い霊的賜物、体験(兆候)や不思議などにを教えることを過度に強調することには賛同することができません。